反強磁性体に隠れた質量ゼロの電子を初めて観測

2023年11月20日

国立大学法人東北大学
国立大学法人大阪大学
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
大学共同利用機関法人自然科学研究機構分子科学研究所
国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)

反強磁性体に隠れた質量ゼロの電子を初めて観測

─ 省エネルギー技術や量子デバイスへの応用を拓く ─

発表のポイント

  • スピン(注1)が交互に配列した反強磁性体(注2)のネオジム・ビスマス化合物(NdBi)における微小な磁気ドメイン(注3)の中の電子状態(電子構造)(注4)を、高輝度放射光(注5)を用いて精密に測定することに成功しました。
  • NdBi表面で発現する相対論的電子「ディラック電子(注6)」の質量が、磁気ドメインのスピン配列方向によって有限になったり消失したりすることを実証しました。
  • NdBiにおいて「反強磁性トポロジカル絶縁体(注7)」と呼ばれる新しい量子相が実現していることを示しました。本成果は、省エネルギー素子や量子デバイスの開発につながると期待されます。

概要

物質中で通常は見かけ上の質量(有効質量)がゼロのディラック電子は高速で動きやすく、質量を持たせることで省エネルギー素子などへの応用も期待できます。質量の発生にはこれまでの研究では永久磁石に代表される強磁性体が用いられてきましたが、漏れ磁場が生じるため集積化しにくいという課題がありました。一方、スピンが交互に配列した外部に磁場を発生しない反強磁性体でディラック電子を発生できるというアイデアが10年以上前に提案されましたが、微小領域の電子状態観測が難しいため、研究の障害になっていました。

東北大学、大阪大学、ケルン大学(ドイツ)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)、量子科学技術研究開発機構、分子科学研究所などの共同研究グループは、10マイクロメートル(µm)に集光した放射光を用いて、これまで困難であった反強磁性体の磁気ドメイン領域内のディラック電子の直接観測に世界で初めて成功しました。

研究グループはNdBi結晶の反強磁性状態において、マイクロ集光角度分解光電子分光(注8)(マイクロARPES(注9))という手法によって磁気ドメイン内の電子を精密に観測しました。その結果、NdBi表面のディラック電子が、スピンの配列方向によって巨大な質量を持つ場合と全く質量を持たない場合があることを明らかにしました。この成果は、反強磁性トポロジカル絶縁体という新しい物質相を実証しただけでなく、巨大な電磁気応答や量子伝導現象を用いた省エネルギー素子や量子デバイスへの応用につながるものです。

本研究成果は2023年11月17日(現地時間)、科学誌Nature Communicationsに掲載されました。

詳細な説明

研究の背景

固体には、金属、絶縁体、半導体、超伝導体といった状態が存在しますが、近年、これらの分類に属さない「トポロジカル絶縁体(注7)」と呼ばれる新しい物質が発見されました。この物質の特徴は、表面を運動する電子が「ディラック電子」と呼ばれる質量のない粒子のような特殊な状態になる点です(図1)。興味深いことに、このディラック電子に意図的に“質量”を持たせると、半導体のようなギャップが形成されて、磁場を必要としない量子ホール効果(注10)や、電気的性質と磁気的性質を相互変換する巨大電気磁気効果(注11)など、トポロジカル絶縁体に特有の量子物性を引き出すことができます。これらの性質は、スピンを用いた省エネルギー素子や高感度の電磁場センサー、トポロジカル量子デバイスの開発に役立つと期待されています。ディラック電子に質量を持たせるには、スピンが同じ向きで整列した強磁性的な内部磁場をディラック電子の周りに生成することが唯一の方法で、実際にこれが可能な物質の種類は限られてきました。また、この方法では有限の磁化による漏れ磁場のために、トポロジカル絶縁体を用いた素子の集積化が困難ではないかという懸念もありました。

この状況下で、スピンが交互に配列する反強磁性体でもディラック電子が発現する物質として「反強磁性トポロジカル絶縁体」が2010年に理論的に提案され注目されていました(図1)。この物質のディラック電子はスピンが配列する方向によって質量が変調します。すなわち、スピンが整列した表面では有限の質量が発生し、一方でスピンが交互に揃う表面では質量がゼロとなります。しかしながら、一般的に反強磁性体ではスピンの配列方向が物質全体に一定に広がるよりも、数10 µm程度の大きさの磁気ドメインが、様々な方向を向いて凝集した方がエネルギー的に安定です。同一の結晶表面において質量のあるディラック電子が質量ゼロのものと混在してしまうために、反強磁性トポロジカル絶縁体の実証は困難とされていました。

研究の内容

今回、東北大学大学院理学研究科の本間飛鳥大学院生と材料科学高等研究所(WPI-AIMR)の相馬清吾准教授、佐藤宇史教授らの研究グループは、大阪大学大学院基礎工学研究科附属スピントロニクス学術連携研究教育センター(CSRN)の山内邦彦特任研究員(常勤)、ケルン大学物理学科の安藤陽一教授らと共同で、東北大学とKEK物質構造科学研究所、量子科学技術研究開発機構のグループが共同で開発・整備した、放射光からの紫外線のスポットサイズを直径10 µm程度に絞って精密観測できるマイクロARPES装置(図2)を用いて、反強磁性体であるNdBiの電子状態を精密に観測しました。研究グループは、NdBiを反強磁性状態に冷却すると、常磁性状態において質量のないディラック電子状態に、明確なエネルギーギャップの形成、すなわち有限の質量が発生することを明らかにしました(図3)。さらに、試料の表面全体をマイクロ紫外光でくまなく走査すると、ディラック電子が有限の質量を持つ領域の他に、質量がゼロの領域も存在し、これらが空間的に分かれていることを見出しました。それぞれの領域から放出した光電子分布の対称性の違いや、第一原理計算による電子状態予測との比較から、質量の異なるディラック電子状態が、スピンの配列方向の異なる磁気ドメインに由来することも明らかにしました。この結果は、磁化を持たない反強磁性状態においても、スピンの配列方向に依存してディラック電子が有限の質量を持つことを世界で初めて示したものです。

今後の展望

本研究は、放射光を用いた先端分光を駆使して反強磁性体NdBiの微小な磁気ドメインに依存した電子状態を空間的に分割して明らかにしたものです。質量のあるディラック電子の存在を反強磁性体において確証したことで、トポロジカル物質の探索範囲が大きく拡大します。これにより、ゼロ磁場下での量子ホール効果や、巨大な電気磁気効果などの量子物性を示すトポロジカル材料の開発が進むことが期待されます。また、磁化を持たない反強磁性体は集積化に向いているだけではなく、磁気ドメインのスピンの方向によってディラック電子の質量のon/offまでも制御できるという強磁性体にはない特徴があり、これを利用した新たなデバイスの開発も期待されます。以上の展望に加え、本成果は先端計測の観点において、マイクロARPESによる磁性体の電子構造解明の有用性を示したもので、より高度なトポロジカル物質探索において次世代放射光(東北大学敷地内で量子科学技術研究開発機構(QST)と一般社団法人光科学イノベーションセンター(PhoSIC)が共同で建設を進めている3GeV高輝度放射光施設NanoTerasu(ナノテラス))を用いたマイクロARPESが強力な威力を発揮することが期待されます。計測装置の先鋭化と整備も進んでおり、より微小な空間の電子構造、例えば磁気ドメインの間の境界や、3次元結晶のヒンジ(稜線)、微細加工したトポロジカル物質デバイスなどの電子状態を解明することで、未発見のトポロジカル物質の実証や、その応用研究が大きく進展することが期待されます。

謝辞

本成果は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」研究領域(研究総括:上田正仁)における研究課題「ナノスピンARPESによるハイブリッドトポロジカル材料創製」(JPMJCR18T1)(研究代表者:佐藤宇史)、日本学術振興会科学研究費助成金における研究課題「2次元電子スピン検出器の開発と強磁性トポロジカル物質の研究」(JP19H08145)(研究代表者:相馬清吾)などの支援を受けて行われました。

論文情報

雑誌名: Nature Communications
論文タイトル: Antiferromagnetic topological insulator with selectively gapped Dirac cones
著者: A. Honma, D. Takane, S. Souma*, K. Yamauchi, Y. Wang,K. Nakayama, K. Sugawara, M. Kitamura, K. Horiba, H. Kumigashira, K. Tanaka, T. K. Kim, C. Cacho, T. Oguchi, T. Takahashi, Yoichi Ando, and T. Sato*
*責任著者:東北大学材料科学高等研究所 准教授 相馬清吾、東北大学材料科学高等研究所 教授 佐藤宇史
DOI番号: 10.1038/s41467-023-42782-6新しいタブで開きます
用語解説
注1. スピン
電子が持つ、自転に由来した磁石の性質のことで、最小単位の磁石とみなすことができます。自転軸の方向に対して、上向きと下向きの2種類の状態があります。この自転軸は物質中の電磁気相互作用によって、様々な方向を向きます。強磁性体(磁石)ではスピンの向きは一斉に揃いますが、反強磁性体では様々な方向を向いて全体として磁極を打ち消し合います。
注2. 反強磁性体
私たちがよく目にする磁石は、電子の持つスピンという最小の磁石の向きが一斉に揃った「強磁性体」という物質です。一方で、電子の持つ磁石の向きが物質の原子の配列に沿って、交互に並んで互いの磁極を打ち消し合う状態にある物質を「反強磁性体」と呼びます。電子のスピンの配列の仕方は実に様々で、2個の組みで逆向きとなるような単純な場合だけではなく、数個から数十個の電子の一団の中で、少しずつ向きを変えて全体で磁極を打ち消すような場合もあります。そのため磁性体の中では、強磁性体より遥かに多くの物質が反強磁性体であると考えられています。
注3. 磁気ドメイン
強磁性体ではスピンの方向が揃った「向き」が、反強磁性体ではスピンの配列方向を示す「向き」が存在します。強磁性体ではこの向きを物質全体で揃えるよりも、様々な向きを持った微小領域が凝集した状態の方が、全体の磁気エネルギーが安定化します。そのような微小領域を磁気ドメインと呼び、自然な状態では様々な向きのドメインが混在した状態になります。反強磁性体でも同様な事情で、磁場や圧力などの外的な刺激のない自然な状態では、磁気ドメインが発生します。磁気ドメインの大きさは、スピン間の相互作用の異方性に大きく依存し、数nm 〜数100 µm程度まで様々です。本研究では表面のスピン方向をイメージングする偏光顕微鏡の実験から、典型的なNdBiの磁気ドメインのスケールが数10 µm程度であることを確認しています。
注4. 電子状態(電子構造)
固体中の電子は、決まった運動量(質量と速度の積)とエネルギーを持つことが知られています。固体中における電子の運動量とエネルギーの関係で描き出された構造を、電子エネルギーバンド構造、または単に「バンド構造」と呼びます。バンド構造は物質の結晶構造や構成元素によって様々に変化し、電気伝導や磁性などの物質固有の性質を決定づけます。
注5. 高輝度放射光
円形の加速器内を数GeV(ギガ電子ボルト)の高いエネルギーで周回する電子が、磁場で軌道を曲げられたときに発生する指向性の高い電磁波を「放射光」と呼びます。光といっても、実際には、赤外線から可視光(日常目にする光)、紫外線、X線、γ線に至るまでの、幅広い波長の電磁波が加速器から発生されます。そのため、放射光の用途も広く、材料科学、デバイス開発、環境科学、医学、生物学、考古学、科学鑑定など多くの分野で、物質、材料、化学物質、生物、食物などについて、原子や分子の構造や元素の状態の精密な分析が行われています。「高輝度放射光」とは、試料の中の原子数個分という微小な領域の構造を調べるような先端的な分析を意図して、電磁波のエネルギー密度を上げることで微小なサイズに集光できる放射光のことを指します。
注6. ディラック電子
英国の物理学者ディラック(1933年ノーベル物理学賞)は、相対性原理を正しく取り込んだ「ディラック方程式」という基礎理論を提唱しました。この理論からディラックは反粒子の存在や、光速で運動する粒子の質量はゼロになることを予測しました。ある種の物質の中では、本来は有限の質量を持つ電子がディラック方程式に従って質量ゼロの粒子のように振舞い、これをディラック電子と呼びます。ディラック電子は固体中を非常に動きやすい上に、量子効果を示しやすいという特徴があります。物質の中のディラック電子のバンド構造は、質量を発生するとアインシュタインの静止質量エネルギーに対応する形で、半導体のようなエネルギーギャップを形成します。
注7. トポロジカル絶縁体、反強磁性トポロジカル絶縁体
トポロジカル絶縁体は位相幾何(トポロジー)の概念を物質の電子状態の解析に取り入れることで、これまでの絶縁体とは一線を画す新しい絶縁体物質として2005年に提唱されました。その表面には、不純物の散乱に強いディラック電子状態が形成されます。トポロジカル絶縁体は非磁性の物質ですが、反強磁性体の電子状態も同様なトポロジーを持つことが2010年に理論的に提唱されました。トポロジカル絶縁体はどのような方位の表面でもディラック電子を持ちますが、反強磁性トポロジカル絶縁体ではスピンの配列方向によって結晶に「向き」があるため、表面の方位によってディラック電子の質量が有限になったり消失したりします。
注8. 角度分解光電子分光
物質の表面に紫外線やX線を照射すると、表面から電子が放出されます(外部光電効果)。放出された電子は光電子と呼ばれ、その光電子のエネルギーや運動量を測定することで、物質中の電子状態が分かります。この外部光電効果は1905年に、アインシュタインの光量子仮説によって理論的に説明されました。
注9. マイクロARPES
試料に照射する紫外光やX線を、K-Bミラー(2枚の楕円ミラーで光を横方向と縦方向に分けて2次元集光する光学系)などによって1点に集光することで、マイクロメートルスケールの空間分解能で試料の微小領域をピンポイントでARPES測定する手法です。
注10. 量子ホール効果
2次元に閉じ込められた電子に強い磁場を印加した場合に、電流と磁場に垂直方向の電気抵抗(ホール抵抗)が、物質に依存せずに一定の値になり、量子力学の基本定数を用いた値の整数倍となる現象です。トポロジカル絶縁体のディラック電子が質量を持つと、磁場がない状態でも電子の進む方向に垂直な向きの力が働いてホール抵抗が発生するとともに、電子状態のトポロジカルな性質としてホール抵抗値が量子化します。
注11. 電気磁気効果
物質に電場を印加すれば電気分極が、磁場を印加すれば磁気分極(磁化)が発生しますが、電気磁気効果では電場による磁化、磁場による電気分極が発生します。通常この効果はとても小さいものですが、Cr2O3(酸化クロム(III))などの反強磁性体で有限の効果があることが確認されています。トポロジカル絶縁体のディラック電子に質量を持たせると、Cr2O3の数十倍の巨大な電気磁気効果を示すことが予測されています。これを用いると、情報素子にスピンを用いるスピントロニクスデバイスにおいて、ジュール熱の発生を抑えて情報の記憶や変換を行う省エネルギー素子の開発に役立つことが期待されています。

説明図


図1:(a)トポロジカル絶縁体、および(b)反強磁性トポロジカル絶縁体におけるディラック電子状態の模式図。質量がないときは、ディラック電子のエネルギーと運動量は比例関係になります。2次元表面の運動に対応してエネルギー状態は上下の円すい形となり頂点同士は接します。質量を持つと円すいの上下が分裂してエネルギーギャップが生じます。トポロジカル絶縁体では表面の方位によらずディラック電子の質量がゼロですが、反強磁性トポロジカル絶縁体ではスピンの揃った表面では質量が発生し、スピンが交互に配列した表面では質量が消失します。

子を示した概念図と、(b)マイクロARPES装置の写真。高輝度紫外線を物質表面に照射して外部光電効果によって放出された光電子のエネルギーと運動量を精密に測定することで、物質の電子構造を決定できます。さらに光のスポットサイズをミクロン単位まで小さくすることで、磁気ドメイン内の局所電子構造の決定が可能になります。マイクロARPESでの観測はKEKフォトンファクトリー BL-28Aで行いました。

図3:マイクロARPESにより観測したNdBiの反強磁性状態における(a)質量を持ったディラック電子と(b)質量のないディラック電子。それぞれの観測データは、同一試料表面の異なる磁気ドメイン内のピンポイント計測により得ました。図の黄色、緑色、青色、白色の箇所は光電子の多い箇所、すなわちエネルギーバンドに対応します。点線が表面のディラック電子状態を示しています。

問い合わせ先

研究に関すること

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